【内容】
人生100年時代に対応したサードプレイスの必要性
「全体感と実感」を伴う「ユルい生業プレイス」
生活と街をつなぎ直す
1.人生100年時代に対応したサードプレイスの必要性
これまで整理してきたように、「日本におけるサードプレイス」は、提唱者のオルデンバーグが、定義していた「元祖サードプレイス」とは、かなり様相が異なります。
日本では、都市部における「会社の延長」としての「居酒屋」、あるいは会社帰りに立ち寄る「スナック」などが、サードプレイス的な役割を果たしてきました。
それらの施設は、会社が集まる都市部に集中し、郊外の住宅地には、ほとんどありません。
ですから、退職(或いはリモートワークの普及)とともに、都市部に通う生活スタイルや行動範囲が一変してしまい、従来型のサードプレイスを利用できなくなってしまうのです。
人生100年時代と言われる、これからの日本に必要なのは、郊外部における「自宅近郊型のサードプレイス」ではないでしょうか。
そして、日本人が利用しやすいのは、対面型のサロン形式ではなく、軽い共同行動(作業)をしながら、コミュニケーションできる形式の場のようです。
定年退職後も家に籠るのではなく、「週に何度が出かける」という意味では、サードプレイスではなく、「(副業も含めて)新しいセカンドプレイス」と言えるかもしれません。
2.「全体感と実感」を伴う「ユルい生業プレイス」
人生100年時代の日本型サードプレイスは、軽い共同作業と交流とを併存させる「ユルい生業プレイス」と総括できそうです。
「ユルい生業プレイス」を成立させる要素として、これまで提示した事例に共通するのが、「全体感と実感」の2要素です。
それは都市の経済活動が巨大化していく中で、「分業とデスクワークが中心」となり、事業の全体像やお客様との交流、現場実感が、失われた「反動」と言えます。
例えば、公園管理を効率化するには、「清掃業務」だけを切り出せば良いですが、楽しくはありません。
公園の「運営を丸ごと」任される方が、楽しくやり甲斐があるのではないでしょうか。
公園の一部で、野菜を育てて収穫して、それをみんなで料理して、美味しさと楽しさを分かち合う方が、達成感があり、仲間が増えます。
こんな共感を軸にしたエコシステムが、街なかに生まれていくと素敵だと思います。
様々な共感テーマで人が集まり、直接的な GDPには寄与しないかもしれませんが、「優しい社会」作りに繋がるのではないでしょうか。
3.生活と街をつなぎ直す
共同体において、個人の役割は「稼ぎ」と「勤め」という言葉で語られます。
松岡正剛氏によると、家族を養うために「稼ぐ」だけでは「半人前」で、(地域の)コミュニティを維持するための「勤め」ができて、「一人前」だということです。
経済成長期に、農村における血縁・地縁などの伝統的な共同体から逃れて、都市に集まった人たちが拠り所にした、「会社というコミュニティ(=社縁)」が崩壊し、都市住民の多くは、「根無し草状態」になっているのではないでしょうか。
経済活動だけ、損得勘定だけのドライな関係は、分かりやすいですが、ギスギスしてしまい、何よりコスト高な上に不安が付き纏います。
その将来不安は過度な防衛反応になり、現状維持思考で不寛容な社会につながります。
社会環境が変化し、住む場所が通勤の呪縛から解放されると、多彩なサードプレイスを通じて、様々な繋がりを楽しむライフスタイルが可能になります。
新しい繋がりが出来ると、視野が広がると共に、いざという時に「帰れるコミュニティがある」という精神的な安心感を獲得できるのではないでしょうか。
人生100年時代には、「経済効率」だけでなく、「サードプレイスを織り込んだ生活」という視点で、街を繋ぎ直す必要があるのだと考えます。
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